霧はいつか晴れる

自閉スペクトラム症の不登校兄弟の母です。

2度目の転校

長男が小学2年生の終わり頃、建売の家を買いました。

転勤族ですが夫はこの場所で長く働くことになりそうなのと田舎で土地が安いというのが気に入ってしまい私は乗り気じゃなかったのですが不動産屋と話を進めてしまいました。しかし私はここでもっと反対すれば良かったと後悔💦夫婦共に地元ではないので知り合いもいなく周りから不思議がられました。最初はよく近所の人からなんでこっちに来たのって聞かれました😅


長男は意外と引っ越しには賛成でした。私は市外なのでまた学校が変わるといろいろ大変なので嫌だったのですが。

越してきて最初の2ヶ月位はなんとか学校へ行ってました。行けなくなると登校班や学校へ毎日連絡するのが憂鬱で近所から陰口も言われるし辛かった(今もだけど😓)

ここの地域の人達は育成会や自治会の集まりがあるとき悪口がすごいです。初対面でかなりプライベートなことも聞いてくるしいろんな場所に住みましたがこんなこと初めてで嫌でした。

学校は前の学校と違い、来れなくても無理やり学校へ連れて行くというようなことはなかったです。

これは学校によって随分違うなぁと驚きました🙄

不登校になった経緯③

長男が小学2年生の6月、私は腰を悪くしてしまい1週間寝たきりでした😞トイレへ行くにも激痛で床を這いながら移動してました💦家事も出来ないので私の母に来てもらってました。

もともと腰痛持ちでしたがこの頃、毎日次男を抱っこしながら長男に付き添い登校してました。すんなり登校できれば問題はなかったのですが毎日無理やり連れて行くのにジワジワ腰に負担がかかっていたみたいで自宅にいるときにとうとう激痛で立てなくなりました。

ほぼ毎日学校まで徒歩10分位の距離だったのですがその道を1時間以上かけて行ってました。なぜかというと…ある時の一例として

家から出るとき長男が喚いているところ私が玄関から引っ張り出し(次男はこの時点ではベビーカー)長男、喚きながらゆっくり歩く→半分まで歩いたところで泣き止み→行きたくないと怒り、もと来た道を戻る→結局家まで戻る→なだめてまた学校へ向かう→私に気付かないように給食袋をわざと道端に落とす→気付いて拾いに行く→途中、次男がベビーカーに飽きてきて泣くので仕方なく抱っこ→そんなことを繰り返してなんとか校門にたどり着く→学校に電話して校門を開けてもらう(鍵がかかってるので)→最後の抵抗で長男から叩かれたり蹴りが入る😠しかも次男を抱っこしてるので腰に相当負荷がかかってしまった。

この頃、市でやっている子育ての相談所を紹介され長男が3年生になるまで定期的に親と子、別々の部屋でカウンセリングを受けてました。子どもはカウンセリングというより相談員のおじいちゃんとの遊びです。長男は楽しいと言ってました。要はここで心のエネルギーを充電し満タンにすれば学校に行きやすくなるということらしいです。

改善される子もいるらしいけど、うちはあまり変わらなかったように感じます😔


不登校の始まりはだいたいこんなところだと思います。書いていてどこまで書けば良いか分からなくなってきたけど😅もともと引っ越し前から不登校の兆候があり引っ越しでそれが確実になってしまったという感じです。

不登校になった経緯②

転勤先の土地へ引っ越してきて冬休み中に転校先の学校に挨拶へ行きました。そのとき担任になる先生から準備する物や登校班と集合場所などを教えてもらいました。

しかし。。。先生はあまり集合場所には詳しくなかったようで。当日早めに家を出てその場所で待っていたのですが誰も来ない。通り過ぎる班はいるものの聞いてもよく分からない。次第に長男は不安になり苛立ち始め私も遅刻したらまずいと、とりあえず次男を抱っこしながら急ぎ足で長男と学校へ行きました。

あまりよく覚えてませんが昇降口にいた先生に声をかけて教室まで連れて行ってもらったような。なんとかホッとした記憶があります。

そしてまた次の日、やはり集合場所に誰も来ず。この時点でここじゃないのは分かりました。しかし知り合いもいないし誰に聞いて良いのかも分からない。再度先生に聞いても分からないと言われるし(この先生はベテランの女性でしたが1番苦手でした)😓

結局1週間してから育成会の方が訪ねてきて場所を教えてくれました。

しかし最初からこんなことがあったのもあり長男は学校へ行くのを拒むようになりました。

なんとか初めて班での登校は行ってくれたのですが翌日から行けず。毎日泣き喚き、暴れる長男を無理やり引っ張って連れて行ってました。もう叫び声に近いので周りの人がよく何事かと見てました💦

なんとか3学期が終わり進級。2年生になったけど同じ担任😞この先生は熱心で放課後よく家に訪問に来てくれました。ただ苦手な方なので来られるのが嫌でした。

毎日行くのを拒む長男。登校班の子達を待たせるのは悪いので、うちがいなかったら先に行って良いよって話してたんですが担任に頼まれたらしく家までよく迎えに来てくれました。でも長男、行けたことがなかったです。

どうしても長男が家から出れない時は学校から保健の先生と体育の先生が家まで車で迎えに来て嫌がる長男を抱えて学校へ連れて行ってくれました。

ありがたいような可哀想なような、複雑な気持ちでした。

不登校とはいえ2年生までは毎日遅刻しながらでも行っていたので不登校ではないのかな。

でも当時、連れて行くのが本当に大変で私は体も壊しました。

続く


不登校になった経緯①

長男が産まれた時から4歳頃まで夫は単身赴任だったので育児はほぼ私1人のワンオペ状態でした。たまに週末は帰ってきたり、こちらから夫のところへ行ったりの生活でした。

赤ちゃんの頃は音に敏感な子で爪切りの音とか家のミシッっていう音で起きちゃうので寝かすのが大変でした💦(赤ちゃんの頃の話はまた後日詳しく書きたいと思います。)

長男が年少の頃、隣人とトラブルがあり(これもまた後日書きます😅)引っ越したくなかったけど夫の転勤先へついて行くことにしました。

転勤先は不安でしたが私も長男も友達がたくさん出来て次男も産まれ楽しく過ごすことが出来ました。やはり夫の存在が大きかったかも。初めて毎日家族一緒に暮らす安心感みたいな。ただこの頃から長男は少し乱暴になってきました。

そして長男が小学生になり普通に通ってた頃、一度だけ友達とトラブルがありました。ハサミで友達の指を切ろうとしたらしく、本人はそんなつもりなく冗談でやったらしいですが真相は分からず…とはいえそんな事は冗談でもダメだよね。幸いケガはなく、その時は電話で謝罪して会った時にまた謝りました。

2学期だったかな、2回登校渋りがありましたがその頃はうちの子が不登校になることなんて全く考えていませんでした。

そして3学期、また夫の転勤で他県へ引っ越すことになりました。たぶん、これが決定的だったのだと思う。もともと幼稚園の頃から登園渋りが酷く集団生活が苦手。小学校が変わったことで一気に学校へ行く気が失せたのだと思います。

だけど環境の変化に対応するのは大人でも大変だもんね。もう少し子どもの気持ちにも寄り添うべきだったなぁ。。。あの頃の自分は今より全然ダメな親だったと思います。

続く

自己紹介

はじめまして。

ブログは初めてなので慣れるまでのんびりやります。


2009年1月、33歳の時に長男を出産しました。

長男はどちらかというと産まれた時から育てにくい子で、でも健診では発達に引っかかったことがなく小学4年生の3学期に発達障害であることが分かりました。その年の7月に適応指導教室の先生の勧めでウィスク4を受け知能が高いことが分かり良い部分を伸ばしていこうということになったのですが生きづらさは変わらず💦

親なりにいろいろ手をつくしてきたのですが今もまだ闇の中を彷徨っています。

次男は2014年12月に産まれました。長男と6学年離れているのでよく周りから小学校が12年間だね、大変だねって言われましたが今はそんなの関係なく大変です😅

次男は気配りが出来る子だけどとても恥ずかしがり屋で人前だと喋れません。なので就学前健診で指摘され週に1回通級でことばの教室に通っています。

2人ともこだわりが強く癇癪持ちなのでケンカすると大変です。

まだまだ書きたいことはありますがまた後で日々のことを書いていきたいと思います。