霧はいつか晴れる

自閉スペクトラム症の不登校兄弟の母です。

不登校になった経緯②

転勤先の土地へ引っ越してきて冬休み中に転校先の学校に挨拶へ行きました。そのとき担任になる先生から準備する物や登校班と集合場所などを教えてもらいました。

しかし。。。先生はあまり集合場所には詳しくなかったようで。当日早めに家を出てその場所で待っていたのですが誰も来ない。通り過ぎる班はいるものの聞いてもよく分からない。次第に長男は不安になり苛立ち始め私も遅刻したらまずいと、とりあえず次男を抱っこしながら急ぎ足で長男と学校へ行きました。

あまりよく覚えてませんが昇降口にいた先生に声をかけて教室まで連れて行ってもらったような。なんとかホッとした記憶があります。

そしてまた次の日、やはり集合場所に誰も来ず。この時点でここじゃないのは分かりました。しかし知り合いもいないし誰に聞いて良いのかも分からない。再度先生に聞いても分からないと言われるし(この先生はベテランの女性でしたが1番苦手でした)😓

結局1週間してから育成会の方が訪ねてきて場所を教えてくれました。

しかし最初からこんなことがあったのもあり長男は学校へ行くのを拒むようになりました。

なんとか初めて班での登校は行ってくれたのですが翌日から行けず。毎日泣き喚き、暴れる長男を無理やり引っ張って連れて行ってました。もう叫び声に近いので周りの人がよく何事かと見てました💦

なんとか3学期が終わり進級。2年生になったけど同じ担任😞この先生は熱心で放課後よく家に訪問に来てくれました。ただ苦手な方なので来られるのが嫌でした。

毎日行くのを拒む長男。登校班の子達を待たせるのは悪いので、うちがいなかったら先に行って良いよって話してたんですが担任に頼まれたらしく家までよく迎えに来てくれました。でも長男、行けたことがなかったです。

どうしても長男が家から出れない時は学校から保健の先生と体育の先生が家まで車で迎えに来て嫌がる長男を抱えて学校へ連れて行ってくれました。

ありがたいような可哀想なような、複雑な気持ちでした。

不登校とはいえ2年生までは毎日遅刻しながらでも行っていたので不登校ではないのかな。

でも当時、連れて行くのが本当に大変で私は体も壊しました。

続く